INTERVIEW

栗の加工食品製造を62年
「岩間の栗」を全国ブランドに
夢を託して会社を譲渡
~2代目社長が65歳で下した決断~

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株式会社小田喜商店 前社長(現取締役) 小田喜 保彦 氏

株式会社小田喜商店 前社長(現取締役) 小田喜 保彦 氏

栗の産地として有名な茨城県笠間市で創業62年になる株式会社小田喜商店。地元の良質な「岩間の栗」を使った栗菓子などの製造販売で、テレビの情報番組にも度々紹介されてきた人気店だ。2代目社長の小田喜保彦氏は2022年6月、中小の食品会社をグループに擁する株式会社ヨシムラ・フード・ホールディングス(本社・東京)に全株式を売却し、会社を譲渡した。高齢による体力の限界と、さらなる産地ブランド化への夢が、M&Aの決断につながった。

栗の収穫期は1日19時間の加工作業
年齢に伴う体力の限界を感じた

はじめに創業のきっかけと事業内容を教えていただけますか。

笠間市と合併した旧岩間町は私の母の故郷で、地元特産の栗を父が東京で売り始めたのが始まりです。1960年に創業して71年に法人化し、95年に私が会社を継ぎました。茨城県は日本一の栗の生産県で、岩間は昔から和栗の栽培が盛んな地域です。創業からずっと焼き栗や栗の甘露煮、栗ペースト、栗菓子などを作って販売し、製菓材料として和菓子や洋菓子の有名店などに卸してきました。栗の季節以外には草餅に使われるヨモギや梅の甘露煮なども作っています。

創業から62年になる老舗を、なぜ譲渡しようと思われたのですか。

ヨシムラ・フード・ホールディングスとの成約式後の様子
ヨシムラ・フード・ホールディングスとの成約式後の様子

年齢からくる体力の限界です。今年で65歳。まだやれるだろうという声もあるけれど、栗の食品加工は短期集中で大変です。栗の収穫期間は8月末から10月中旬くらいまでで、この正味40日間で1年分を製造しないといけない。和栗本来の甘みを引き出すために、収穫した栗を速やかに冷蔵庫に入れて氷温熟成させ、甘露煮にしたり、ペーストを製造したりします。そうした作業を夜も明けない3時から夜10時くらいまで続けます。妻も繁忙期は朝7時から農家の栗の買い取りや通販の出荷作業をし、夜に経理や事務処理をして、仕事を終えるのは深夜2時くらいです。

相当ハードですね。繁忙期は従業員の皆さんも同じように働いているのですか。

従業員は現在25名いますが、午前8時から午後5時の定時勤務がほとんどです。従業員には過度な働き方をさせない、というのが自分の描く理想の会社像でした。それはほぼ実現できて、会社として利益も出している。その自分の理想を通すために夫婦でがんばってきたけれど、いよいよ限界点に達したわけです。お客様からはもっと作ってほしいという要望をいただきます。もっと作ってあげたいけれど、今のやり方ではこれ以上は作れない。そうした状況がM&Aを考えた理由にあります。

食品加工に精通していたのが決め手
地元の栗のブランド化で中核を担う企業に

会社を譲渡する際の条件や希望としてはどんなことを挙げましたか。

従業員の給与水準を下げないことと、栗の仕入れ先もお得意先も今まで通り取引してください、ということです。会社の儲けは働く従業員と、良質な栗を作ってくれる生産者に分配するという考え方でこれまで経営してきました。儲けるために必要なことは、上質な製品をいかに効率よく作るかです。それを実現できる会社を希望しました。

ヨシムラ・フード・ホールディングスがその希望に合ったわけですね。

ヨシムラ・フード・ホールディングスのグループには、20社を超える食品製造・販売会社があります。食品加工に精通している企業だということが一番の決め手でした。ほかにも何社か候補企業はありましたが、ヨシムラさんほど製造部門が強いところはありませんでした。その実績があれば、加工技術を伝えるのに何年もかからない。1から教えるとなると10年は必要で、その頃には私は75歳になります。それと、グループ内の食品会社のノウハウが共有できる点も魅力でした。これまで自分たちのやり方一筋できましたが、他社の知見を注入してもらうことで、もっと成長できるのではないかと思いました。

ヨシムラさんをお相手として選んだ決め手は、担当してくれたストライクの井上さんの推薦があったからです。井上さんとは何度も何度も話し合ってきましたので私の気持ちをわかって紹介してくれた会社です。井上さんは栗の知識も相当もってますよ(笑)。ヨシムラさんの名前が挙がったのが2021年10月ごろでした。栗の繁忙期と重なって、よく頭が回らなかったときでしたが、ヨシムラさんとの成約に向けて話を進めてくれたことに感謝しています。

ヨシムラ・フード・ホールディングスのグループ会社となって今後に期待することは何ですか。

小田喜商店商品写真
定番の甘露煮や栗と砂糖だけで作ったオリジナル商品の「ぎゅ」など、こだわりの栗加工品がそろう

「岩間の栗」の全国ブランド化を進めて、小田喜商店をこの地域の中核企業に育ててほしい、そこに期待しています。メディアに取り上げられてきて、小田喜商店のブランドは多少できましたが、産地の中核企業には達していない。「丹波の栗」の知名度は全国区でみなさん知っていますよね。丹波地方の栗栽培は平安時代にさかのぼる、1000年文化のブランドです。岩間の栗がこれからの子々孫々に伝わるブランドとなって、栗に携わる人たちが誇れる文化にすることが私の夢です。

笠間市は白御影石の産出地として有名で、店の前に白御影で作った大きな栗の石像を置いています。タイムマシンに乗って1000年後のこの地に降り立って、栗の石像が祀られ、栗文化が続いている光景を見ることが私の夢ですね。

栗への愛とロマンを感じるお話しです。一方で、不安に思うことはありますか。

ヨシムラさんは大きな会社なので、猪突猛進に取り組んできた私のように、全力でブランド化を進めてもらえるのかどうか、というところでしょうか。グループ会社になってまだスタートしたばかりです。私は取締役として1年間はいますので、ブランド化への取り組みと、夫婦で回してきた仕事が、会社全体として回せるようになるのかどうかを見ていきたいと思います。

会社譲渡のリリースが出た日に市役所職員が来訪
取引先からも「良かったね」の声

今回のM&Aを従業員や取引先などはどのように受け止めましたか。

前々から会社を継いでくれる人を見つける考えは従業員に話していましたから、ほっとしたでしょう。私が続けるとしたら、あと5年か10年か、社長が倒れたら会社も倒れるという感じでしたし、子どもには子どもの人生があるので、継がせるという発想もありませんでした。これで会社は大丈夫だと安心したと思います。4月下旬にヨシムラさんから、小田喜商店の全株取得のプレスリリースが出た時は、その日のうちに笠間市役所の農政部長と農政課長、栗ブランド戦略室の担当者が会社に来ました。取引先もこちらが挨拶回りに出向く前に次々に訪ねて来られて、良かったねと言ってくれました。事業が続くことを喜んでくれる人が多いので、良い決断だったのかなと思います。

会社を支えてきた奥様のかおりさんに伺います。今回の譲渡に関しても、いろいろと役割を果たされたそうですね。

小田喜夫妻インタビュー風景
小田喜保彦さん(右)と妻のかおりさん(左)。二人三脚で事業を盛り立ててきた

譲渡先がヨシムラさんに決まってからは、私はとにかくうまく話がまとまるように、夫とストライクの井上さんとの調整役に徹しました。契約の手続きが栗の繁忙期と重なって大変でしたが、期日までに提出する契約書や監査に必要な資料類も税理士を使わずに、ほとんど私がそろえて提出しました。

奥様も仕事は続けられますが、小田喜商店をどのようにしていきたいですか。

基本的には今まで通りです。従業員が定時に上がって、苦労や負担を感じない働き方ができる会社を続けていけるように、現場の従業員とヨシムラ本社の調整役をしながら働きたいと思っています。

数年かけて引き継ぐことを考えれば
65歳がタイムリミットではないか

最後に小田喜さんに伺います。M&Aを考えている経営者に向けて、経験者としてのアドバイスはありますか。

小田喜夫妻と石像
笑顔の小田喜夫妻。栗への愛があふれる店先の石像と一緒に

M&Aのタイミングは、まだ十分に仕事ができると思える65歳ぐらいが一番良いのかなと思います。数年かけて引き継ぐことを考えると、65歳がタイムリミットでしょう。私の場合、70歳までやっていたら、おそらく体力も気力もピークを過ぎて、会社も下り坂でした。今、会社は滑走路から飛び立とうとしているところです。安定した飛行ができるようになるのが1年後なのか、3年後か。期待と不安両方ですね。

私は55歳あたりから若い人を雇わないようにしていました。会社の30年後が描けないのに、若い人を雇い入れるのは失礼だと思ったからです。M&Aを考えて事業を継続させることを決めてから若い人の採用を始めて、今は20代が4名、30代が5名います。ハローワークでも求人募集をして、今年度は7名の採用を予定しています。若い人たちで事業が活気づき、「岩間の栗」ブランド化の中核企業になることを見届けていきたいと思っています。

本日はありがとうございました。

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