ご成約インタビュー No.33
INTERVIEW
きめ細かい物流加工サービスに信頼
企業譲渡で「相乗効果」
「ライフプラン実現」の一挙両得に
- #後継者不在
- #創業者
- #業界再編
- #戦略的M&A
- #美容・化粧品・ファッション
- #物流・運送
株式会社ギャバンス 会長 奥田 真一 氏
岐阜県岐阜市で、主に衣料品の輸送や検品、補修など「物流加工」の業務を手掛けるギャバンス株式会社。独自の検品・検針などのノウハウを持ち、多くの衣料品チェーンなどの信頼を得てきた。1995年11月の設立から事業を順調に拡大し、取引先は200社にものぼる。2000年以降は国外にも進出し、中国やベトナムなど10の海外拠点を持つ。奥田真一会長は19年12月、後継者不在問題の解決などのために、物流・倉庫業の株式会社石島運輸倉庫に会社を譲渡した。M&Aで事業承継するまでの経緯や心境について聞いた。
原点は「モノづくりをしたい」という思い
アパレル商社で経験を積み
検針・検品の専門会社を設立
ギャバンスの創業の経緯を教えてください。
私の母は、私が小学生の頃に静岡県伊東市で洋裁店を営んでいました。母の店では、お客様の体形に合わせてオーダーメードのスカートやジャケット、スーツなどを作って販売していました。その影響で、私もアパレル製品を作ることに興味がありました。製品を世に送り出すには、何もないところからデザインや機能を想像し、生地、付属品を組み合わせて、最終顧客の元へどうやって品質、時間、値段を担保して届けるのかを考える必要があります。そうした企画や戦略を練るのが楽しいのです。成長してからも「モノづくりをしたい」という気持ちは強く、私は大学卒業後に岐阜の専門商社に入社しました。16年間、好きなようにやらせていただき、こちらの会社には今でも感謝しています。
しかし、入社して10年くらい経ったあるとき、ふと考えました。自分は着たい服を買っているだろうか。食べたい食事を食べているだろうか。いや、買える服を着て、食べられる範囲のものを食べているのではないか。自問自答をする中で私は、「この枠を広げるにはどうしたら良いか」と考えました。そこで、自分のライフプランを作ったのが36歳のときです。プランでは、50歳までは寝食を惜しんで働き、あとは家族とゆっくり過ごすということにしました。当時働いていた会社や社長は好きだったのですが、その会社に勤務したままでは自分のプランを実現することはできそうもありませんでした。そこで、当時の手持ちのお金や能力で自分ができることは何かを考えました。そこで1995年にギャバンスを設立することにしたのです。
私が前職の会社に入社したのは1979年でした。当時のアパレル業界は、ほぼ日本製で占められていました。メーカー、地方問屋、前売り問屋、小売業という流通経路や住み分けが明確で、そのルートを外れることはありませんでした。当時のメーカーは立場が強く、作れば売れるという時代でした。このため岐阜の縫製工場、二次加工工場は大変な盛況でした。
しかし、数年後には、より人件費の安い海外での生産が増えてきました。まずは韓国製から始まり、台湾、次に香港経由の中国広東省、上海地区へと産地は移動していきました。発注先もそれに伴い海外へと移動していきました。ただ当時の海外製品は品質が悪く、不良品も多くて常に悩まされ続けました。解決策がなかったのです。
1995年に製造物責任法(PL法)が施行され、アパレル製品を納品する際は、仕立てた衣服に不注意で残る針がないように検査する「検針」という作業を義務付ける顧客が増え始めました。私が37歳のときでした。そこで、検針や検品を専門にする会社を作り、まず3年間はがむしゃらにやってダメなら次のことを考えようと思いました。
会社の業績は当初から順調だったのですか。
いいえ、必ずしもそうではありませんでした。最初の3ヵ月間は仕事がなく、オフィスの掃除ばかりをしていたこともありました。しかし、しばらくすると、かつて働いていた専門商社時代の知人など、多くの方々が声をかけてくれるようになりました。アパレル製品の検品や検針のニーズがどんどん高まっていたことも背景にあったと思います。目の前の仕事を懸命にやっている間に、あっという間に3年が過ぎ、4年目には少し大きな倉庫へ引っ越すことにしました。
経営に余裕が出てきましたので、海外にも進出しました。アパレル製品の製造工場がどんどん海外に移転し、かつて盛況だった岐阜の縫製工場や二次加工工場で働いていた方々の仕事がなくなり、ギャバンスへ来て働いてくださるようになったためです。検品業界も、いずれは海外へ移行していくだろうと予測し、まずは中国に進出しました。2000年、上海に初代の検品会社を立ち上げましたが、これはうまくいきませんでした。手を組んだ相手が丁寧な仕事をしてくれなかったことが主な要因です。しかし、私はここで諦めず、次の相手を探しました。01年のことです。それからの数年で中国での検品会社の基礎を学び、05年に青島、大連と続けて拠点を増やしていきました。
M&A成功の要因は価値観が合っていること
互いに助け合い、共に発展することができる
ギャバンスの強みと特徴は何でしょうか。
私はギャバンスを「アパレル製品の病院」だと考えています。社員はアパレル関連企業の出身者が多いので、通常の大手物流会社ができない、相手の立場に立った、きめ細かなサービスを提供できます。例えば、仕事の現場では、商品の値札の付け替えをしなければならないなどの問題がしばしば発生しますが、一般的な検品業者では対応できません。ギャバンスでは、こうした顧客の要請にもきめ細かく応えることができます。浅く広いお付き合いではなく、会社の理念『安心と満足をあなたへ』を軸として、ギャバンスを必要としていただけるように深くお付き合いをしていることが、お客様との強い信頼関係を築けた背景にあると思います。
顧客企業の海外工場から出荷された製品を、ギャバンスが海外での検品から流通、日本国内の店頭に並ぶまで一貫して管理できるところも強みです。異なる会社が検品や流通の仕事を別々に担当すると、会社ごとに対応が異なり、安心感を得づらい面があります。また、ほかの検品会社は、海外では現地資本とのフランチャイズが多いのですが、ギャバンスはほとんどが自己資本のみの会社です。そのため、海外の出資者からの意見に左右されず、日本企業の経営理念やきめ細かい顧客サービスを守っていくことができます。それが顧客の信頼にもつながっているのだと思います。
海外もアジアを中心に多くの拠点がありますね。
中国では上海、南通、如東、無錫、青島、大連に、東南アジアではベトナム、カンボジア、インドネシア、バングラデシュに拠点があります。今後は、ミャンマー、中国内陸部への進出も視野に入れています。
顧客の信頼を得て順調な経営が続く中、自社の譲渡をお考えになったきっかけは?
私が30歳代で作ったライフプランでは、50歳を自分の「定年」にしようと考えていました。しかし、すでに50歳という年齢からは13年も過ぎてしまいました。もっと早く他の人に替わっていただきたかったのですが、私には会社を引き継ぐ子どももおりません。社内昇格をさせたとしても、私が完全に引退するのはなかなか難しいと思いました。妻にも経理など会社で重責を担ってもらっており、多くの苦労をかけてきましたから、少し楽にしてあげたいという気持ちがありました。
私自身が年齢を経たことで、最近は取引先の方々や銀行からも私に不測の事態が起きた場合の対策を確認されることも増えてきました。海外出張も非常に多いため、事故や突然の病気もありえます。日本では人手不足やEC(電子商取引)ビジネスの増加に伴い、ロボット化やIT化が進み、私のような古い頭の経営ではなく、若くて柔軟な経営者が必要だと思っていました。
譲渡先企業についての感想を聞かせてください。
石島運輸倉庫さんの経営陣は、お互いに不足しているところを補完し合い、互いが共に発展していこうというスタンスです。上から目線ではなく、助け合おうという姿勢が素晴らしいと思っています。ギャバンスの研修にも来ていただくなど、経営者同士が敬意を持ってお付き合いできていることや価値観が合っていることが、今回の企業譲渡が成功した要因の1つだと考えています。
互いに補完し合えると思われた具体例を教えてください。
例えば、ギャバンスには関東地方に倉庫がありませんが、石島さんにはあります。逆に石島さんの場合は中部地方や海外に拠点がありませんが、ギャバンスにはあります。実際に顧客を紹介し合い、営業も助けていただいており、相乗効果が期待できます。石島さんは、ギャバンスではあまりやっていなかった管理職の社員教育やセミナーなどを定期的に実施されています。また、社員バッジやグループ全体の理念や代表の考えが書かれた社員手帳を作って配布するなど、グループの一体感を育成していこうという姿勢も感じられます。ギャバンスとしては、最高のパートナーだと思います。
臆せず、遠慮せず、買い手の考え方を聞き、自分自身が納得することが重要
ストライクに相談して良かったことはありますか。
担当者の廣田さんは、ギャバンスの業務内容を理解するため、日本の現場だけではなく海外の現場にも足を運んで、ギャバンスが何をしているのか、どういう強みがあるのかなど、上辺だけでなく深いところまで理解してくれました。評価し難いギャバンスの海外拠点の価値を理解し、それを石島さんに伝えてもいただきました。売り手、買い手に第三者として公平で正確な情報を伝え、後で問題が起きないようにしっかりと舵取りをしていただけたと思っています。M&A仲介会社のコンサルタントは日々忙しいと思いますが、その中で本当によくやっていただきました。私としては廣田さん以外にこの会社の行き先を任せるわけにはいきませんでした。
譲渡後の会社の状況について教えていただけますか。
このところの新型コロナウイルスの感染拡大による影響で、足元では売り上げ、利益などの業績は苦戦していますが、石島さんと組むことで、今までなかった運送を内製化できました。また関東にも倉庫ができたことで、顧客からの新たな案件が確保できるなど徐々に相乗効果が生まれています。社員もそういったポジティブな印象を持っているので、社員が動揺することもなく、社内の雰囲気は安定しています。
ご自身のM&Aの体験をもとに他の経営者の方々にアドバイスをお願いします。
M&Aの相手がファンドか同業者かなどにもよりますが、価値観の近い会社を選んだほうが良いと思います。相手の経営者の態度、ものの言い方などを見ていれば、その人の価値観はわかります。売り手はM&Aの経験が初めての方が多いと思いますが、買い手は何回か経験している方が多いと思います。わからないこと、不安なことは何でも仲介担当者に相談することです。初めて相手にお会いするときも、先方は慣れているので、臆せず、遠慮せず、相手の考え方をしっかり聞いて、自分自身が納得することが重要だと思います。
今回のM&Aで最初は社員も驚きと不安があったでしょうが、今ではメリットしか感じていないでしょう。また、M&Aの際は、仲介業者のような、どちらの立場にも属さない中間的な立場の方がいると、もめごとが起こりづらいと思います。仲介をしてもらう会社の担当者には、しっかり自分の会社価値を理解してもらってから、相手を探してもらうことが大事だと思います。
本日はありがとうございました。
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