ご成約インタビュー No.38
INTERVIEW
トップを目指して30年、
全国50ヵ所の保育施設を運営
~希望した他県・他業種への事業譲渡を実現
- #後継者不在
- #創業者
- #従業員雇用
- #介護・医療
- #教育・コンサル
株式会社アピカル 創業者 濱元 篤子 氏
福岡県を中心に全国50ヵ所で保育施設を運営する株式会社アピカル。直営する保育園以外にも、福岡ソフトバンクホークスの本拠地である福岡ドーム(福岡PayPayドーム、福岡県福岡市)などの商業施設内の託児施設や、病院等にある保育所の運営も代行している。創業者の濱元社長は、後継者不在の問題や自身の年齢を考えM&Aを決断。譲る相手を探すにあたって、他県の他業種の会社を希望した。その条件の背景やM&Aに至った経緯を伺った。
ベビーシッター業務からスタート
ご相談やご紹介に応える形で事業を拡大
創業の経緯をお聞かせください。
私は、平成2年に福岡で、お客様の自宅に伺ってベビーシッターを行う事業を始めました。創業のきっかけは、私自身が子どもを保育園に預けようとした際に、希望するサービスを受けられる施設がなかったことです。そこで、私を含めた親の希望に応えられるような保育を事業にしたいと考え、起業しました。会社を経営するなら何かのトップを目指したいという想いから、「頂点の」を意味する「アピカル」という社名にしました。
ベビーシッター業務に取り組んでしばらくたった頃に、お客様から「自宅は来客があるので、別の場所で子どもを預かってもらえないか」というご相談をいただきました。そこで、会社の事務所の横に場所を借りて、子どもの一時預り所を設けたのです。その当時、一時的に子どもを預けられるサービスはほとんどありませんでした。一時預かりが軌道に乗ると、福岡ドーム(現:福岡PayPayドーム)の運営会社から「野球観戦の際に、観客が子どもを一時的に預けられる部屋を作りたい」と相談されました。野球場に子どもの一時預かり所を開設したのは、平成5年3月です。福岡ドームでは、野球の試合があれば夜遅くまで子どもを預かりました。大みそかにも年越しライブなどのイベントがあって、子どもを預かりながら除夜の鐘を聞くこともありました。
その後、一時預かりではなく毎日の預かりの要望が多くなり、保育園を開園しました。保育園の運営が順調に展開していた頃、事業会社や医療法人の方から、事業所内の託児施設の運営について相談されるようにもなりました。例えば、医療機関の方からの「病院内に託児所を作りたい。その運営を請け負ってもらえないか」というようなご相談です。そうした声にお応えする形で、保育施設の運営の請負にも取り組むようになりました。
さらに、関西にいる知り合いの経営者から「高齢なので事業を引き継いでほしい」と希望されて保育園を譲り受け、九州以外に進出しました。関東でも、他社の保育園の開業を支援したところ、後になってその会社の保育園運営が厳しくなり、当社が経営を引き継いだこともありました。
このような経緯で業務エリアが拡大し、保育を中心にして、さまざまな事業を展開することになったのです。アピカルは営業社員がいなかったため、事業の拡大は常にご相談やご紹介がきっかけでした。そのため、いただくお仕事を一つ一つ丁寧に対応することを心がけ、地道に事業を展開してきました。創業から30年たった今では、福岡、関西、関東、熊本の合計4つのオフィスを設けております。当社が経営する保育室、運営を委託されている保育室などを合わせると、全国で合計50ヵ所の保育施設を運営する会社へと成長しました。
30年間で大きな会社へと成長を遂げました。
その成長を支えたものは?
アピカルが成長できたのには、いくつか理由があります。一つは保育所の開設に関する規制緩和です。昔は、保育所は市町村や社会福祉法人しか開けませんでしたが、制度が変わって、株式会社も保育園を営むことができるようになりました。規制緩和後は保育業界が活況となり、アピカルの経営も軌道に乗りました。
規制緩和の背景には、女性の社会進出という新しい時代の流れがありました。働く女性が増え、子育てに対する意識も変化しつつあります。今では、コンサート会場や商業施設などで子どもの一時預かり所が設けられていることが一般的になりました。また、待機児童に対する問題意識が高まり、保育所開設のニーズも増えました。アピカルが保育サービスを開始した30年前には考えられなかったことです。
30年前を思い返すと、「保育事業は母親の育児放棄につながる」というご意見をいただくこともありました。アピカルは、親に余裕が生まれることで、子どもも含めた家族全員が笑顔でいられるような環境づくりをサポートする。その想いでサービスを提供し続けてきたことが良かったのだと思っています。
そして何より、社員に恵まれたことが大きかったです。私と同じ想いを持つ社員が集まってくれました。私は大事な社員たちが安心して長く働けるように、働きやすい職場環境をつくることを大切にしました。当社は「人々の役に立つ」「笑顔と感動を届ける」という経営理念を定めています。社員たちには、「私たちは人を笑顔にするために働いているんだよ」と伝えています。私自身も、社員に笑顔で接するようにしています。社内がピリピリせずに自由に仕事ができるような社風となり、アピカルの文化ができたのだと思います。
後継者問題や自身の年齢を考えM&Aを決断
期限を決めて行動したことが良い結果を生んだ
会社を譲渡するご決断、
そのタイミングについてお聞かせください。
会社の譲渡を決断した理由は、後継者と自身の年齢、この二つです。
後継者については、候補者がいませんでした。理由は、会社の規模が大きくなりすぎていたためです。事業は九州、関西、関東へと拡大していて、従業員は合計600人になっていました。この規模の会社を引き継ぐとなると、相当大きな責任を伴います。継ぎたいという意思がある関係者は周りにいませんでした。
もう一つの理由は、私自身の年齢です。私は漠然と「60歳になる頃には経営から引退したい」と考えていました。私は今年でちょうど60歳です。今回のM&Aで良い相手先にアピカルを譲り受けていただくことができました。経営を引き継ぐ期間があり、引退するのはもう少し先になりますが、期限を決めて決断し、行動したことは良かったと思っています。
譲渡先を探す際に希望された条件は?
譲渡先の候補は、ストライクの久留さんに相談して探していただきました。そのときにお伝えした希望条件は、「同業以外」で「福岡県外」の企業でした。
同業でない企業を条件としたのは、当社の保育園の文化を守るためです。保育園というのは、企業ごとに独特の文化が育まれます。当社の良さは、先ほど申し上げた通り、おおらかで従業員の働きやすさを第一にする文化です。あくまでも可能性ですが、同業者に譲ると先方の文化を強要され、働く社員の居心地が悪くなってしまうこともありえるでしょう。それを避けたいと考えました。また、県外をお願いしたのは、福岡県内だと経営者同士が顔見知りということが多く、譲渡に関する情報漏洩などのリスクがあったためです。
M&Aは結婚と同じで相性が第一
理念や文化が通じ合う相手と巡り会えた
重要だったのが、譲渡後も社員を大事にして守ってくれる会社であることで、これは譲れない条件でした。譲渡後も社員を大切にするというのは、アピカルとして大切にしている考え方や文化を譲渡先のお相手が理解し、譲渡後も遵守してくださることだと考えたのです。
県外の非同業という条件は、譲渡先企業を探すうえで高いハードルだったようです。広範囲に展開する当社を譲り受けるわけで、それなりの規模感も求められました。けれども、久留さんのおかげでエスオーユーホールディングス様という素晴らしい会社に出会い、当社を譲り受けていただくことができました。
お相手の会社の印象をお聞かせください。
エスオーユーホールディングス様の松丸社長は、常に従業員を一番に考えていらっしゃいます。会社も落ち着いた風土で、全国展開もされています。アピカルとの相性はとても良いと感じて、ぜひ譲渡させていただきたいと思いました。エスオーユーホールディングス様もアピカルの保育事業に興味を持たれ、同社が保育事業への参入を検討していたこともあり、お互いの条件や要望が合致して、M&Aに至りました。本当に一番良いお相手と出会えたと思っております。
これからM&Aを考えている方へのメッセージがあればお聞かせください。
私は当社の社員やお客様の未来を考え、M&Aを活用して会社を譲りました。M&Aは結婚と同じで、譲渡先企業との相性が一番大事ではないでしょうか。自分にとって大切なことを、相手が理解して本当に守ってくれるかを見極めることが重要だと思います。
M&Aによる事業譲渡には、譲渡価格などのさまざまな条件がありますが、私はそれ以上にお相手と通じ合うものがあるのかどうか、社風も含めたお互いの相性が非常に大切だと思いました。
本日はありがとうございました。
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